1. Louvre
パリの象徴として世界に知られる凱旋門から、シャンゼリゼ通り、コンコルド広場のオベリスク、チュイルリー公園をぬけると、ルーブル美術館がその偉容を現わします。その中心部にガラスのピラミッドが燦然と輝いています。
グラスゴー大学在学中に、大学の先輩(日本人)から、「何故、あのパリの中心の、最も大切な場所(ルーブル宮殿のコートヤード)に建てる新たな建物が、ガラスのピラミッド(エジプトの象徴)である必要があったのか」という質問を受けました。
“Much of the early local opposition to Pei’ s project for the Louvre focused on the fact that the architect was a foreigner.
In the end, converts concluded that the rigorous rationality of the executed building could be interpreted as classically French.”
Aileen Reid, I.M. Pei, p.241.
古典的建築物であるルーブル宮殿のコートヤードに、融合するはずのない、近代建築の幾何学的なガラスのピラミッドが、自然と、違和感なく建っていることを、それまではちゃんと考えたことはありませんでした。それから、ルーブルに関する多くの書籍を読み、イオ・ミン・ペイの意図などは理解しました。
ただ、答えは今もわかりません。又、その方は病気になってしまい、答えは聞けませんでした。その後、大学のインターンの期間中にパリに2年間滞在する機会があり、時間がある土日は、ルーブルのコートヤードのベンチに座って、ひたすらルーブルを見ていました。
「何故あのデザインにしたか」の本当の答えはわかりませんが、ただ、今この存在するガラスのピラミッドが、教えてくれたことは、新凱旋門から、凱旋門を経由し、ルーブルにたどり着く直線の延長線上にある個々の歴史や、偉大なランドスケイプデザイナー、ル・ノートルの存在、元々宮殿であり、美術館には全く向いていない建物を世界で最も有名な美術館にしたという偉業からして、「今や、その場所になくてはならないものである」という事実、真実とも言うべきものです。これほどまでに、その都市、街並みの中の、その特定の場所に存在する意味をなす建築物に出会ったことはありません。
当時学生だった私は、奇抜なデザインやアイデアだけに憧れ、後世長きに渡り存在する建築物の本当の意味、それをデザインする責任感をちゃんと理解出来ていなかったように思います。
私にとって、このルーブルのガラスのピラミッドがキッカケであり、模範であり、建築物のこうあるべきという理想であり、今後、日本で建築に携わっていく上で、建築物がその場所、歴史において、そこに存在しなければならない、「そのような長きに渡り存在し、都市の歴史の一部分となるような、理想の建築物」をデザインして、後世に残せるよう、日々精進していきたいと考えています。
初めてのブログということで、アーキテクトである私にとって、一番大切な存在の建築物について書きました。
これからも、継続してブログを続けていきますので、よろしくお願いします。